逗子海岸の海の家は日本一かも知れない |
毎年多くの行楽客がここを訪れます。昭和三十年代の逗子海岸は、海水浴客でごった返し、海の家は大繁盛で、文字通り芋を洗うような状況でした。今の東京都知事の石原慎太郎が「太陽の季節」を発表し、新進作家としてもてはやされた頃でした。
その前は、徳富蘆花の「不如帰」がこの海岸の近くの旅館で執筆され、徳富蘆花や当時の多くの著名人が散策した海岸として知られています。また「眞白き富士の嶺」の歌が有名になった、ボート遭難事故の逗子開成高校がこの逗子海岸のすぐ近くにあります。
そして、逗子海岸沿いには、居酒屋甘太郎から一部上場の企業になった、株式会社コロワイドの系列店が軒を並べています。それだけではありません。夏の間だけの海の家でも、日本テレビ系列のお店や一流企業の出資しているお店がひしめいているのです。
ただ富士山と江ノ島が見える風光明媚な海岸というだけなら、湘南地方にはいくらでもあります。
しかし、逗子海岸に此れだけの名の通ったお店が軒を連ねているということは、市民として誇りにしていいことだと思います。ただし、市役所がそういう有形無形の伝統文化を大切にしているかどうかは別問題ですが・・。
[ 祈りとは自然との対話のこと
こころで尋ねれば こころからの答えがもらえる ]
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