2012年 06月 18日
「天は人の上に人を創らず人の下に人を創らずといえり」 我らが主権者なり |
福沢諭吉の「学問ノスヽメ」にある有名な言葉「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずといえり」と、リンカーン米国大統領の南北戦争中の有名な演説「人民の人民による人民のための政治」は、共に民主主義の基本のようにいわれていますが、実はまったく別物なのであります。
そもそも「民主」とはどういう意味なのかを考える必要があります。つまり「民」と「人」とは違うのです。これはキリスト教の歴史を知らないと分からないところが大きいのですが、「人民」とは「王に忠誠を誓った人」をいうのであって、いわゆる庶民ではないのです。
つまり、日本でいう士農工商の「士」に当たるのですが、それを捨てたのが「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずといえり」という、明治維新であることはいうまでもありません。
このことから分かるように、欧米の帝国主義の時代はけっして人種平等の時代ではなかったのです。ところが、日本だけはあの帝国主義の時代に人種平等の思想を既に確立していたのです。
もうお分かりでしょう、先の大東亜戦争は文明の衝突であり思想の対立だったのです。そして日本は敗けはしましたが、この人種平等の思想は全世界に受け入れられました。白人の血が混じっていなくても、人は人なのです。
さて、二十一世紀になった今でも、我が国では、戦勝国の人々が大手を振って幅を利かせていますが、その理由は、先の「人民」意識なのです。そして、その戦勝国の「人民」にしっぽを振るポチに成り下がった日本人に、道徳心などあるはずもありません。
しかし、昨年の三・一一以降、国民は人として人民として目覚めました。官僚や国会議員どもは我々人民の僕であることに気付いたのです。そうです、我らが主権者なのです。
[成功している人間は、ひとり残らずなにかの夢を見ている]
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そもそも「民主」とはどういう意味なのかを考える必要があります。つまり「民」と「人」とは違うのです。これはキリスト教の歴史を知らないと分からないところが大きいのですが、「人民」とは「王に忠誠を誓った人」をいうのであって、いわゆる庶民ではないのです。
つまり、日本でいう士農工商の「士」に当たるのですが、それを捨てたのが「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずといえり」という、明治維新であることはいうまでもありません。
このことから分かるように、欧米の帝国主義の時代はけっして人種平等の時代ではなかったのです。ところが、日本だけはあの帝国主義の時代に人種平等の思想を既に確立していたのです。
もうお分かりでしょう、先の大東亜戦争は文明の衝突であり思想の対立だったのです。そして日本は敗けはしましたが、この人種平等の思想は全世界に受け入れられました。白人の血が混じっていなくても、人は人なのです。
さて、二十一世紀になった今でも、我が国では、戦勝国の人々が大手を振って幅を利かせていますが、その理由は、先の「人民」意識なのです。そして、その戦勝国の「人民」にしっぽを振るポチに成り下がった日本人に、道徳心などあるはずもありません。
しかし、昨年の三・一一以降、国民は人として人民として目覚めました。官僚や国会議員どもは我々人民の僕であることに気付いたのです。そうです、我らが主権者なのです。
[成功している人間は、ひとり残らずなにかの夢を見ている]
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by zushi53
| 2012-06-18 12:48
| 市民